『神さまは「面倒なとき」ほど そばにいる。』

Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]
このエントリーをはてなブックマークに追加

「面倒」「もったいない」「ゴミ」

という言葉すべてが

⇔『すべてのモノの裏側に

神さまがいらっしゃる』

という日本人の神道の精神が現れた結果。

ゴミか、そうじゃないかを決めるのは、

私たちの意識です。

休日の朝

昨夜の雨が嘘のように晴天で

朝日を浴びながら紅茶を飲みながら…

偶然に開いたページが

何故か"ゴミ"について書いてある

意味深なページだった。

ゴミか、そうじゃないかを決めるのは

私たちの意識です。

私たちがそのモノをゴミと見なした時点で

それまで価値あるモノ、

魂を宿した道具であったものが

一瞬で"ゴミ化"してしまいます。

『ゴミ出し』はモノに対する感謝の現れ

あなたがモノをゴミと見なした瞬間から

そのモノのエネルギーは腐っていきます。

「使われない」=「モノにとっての死」です。

ゴミをそのまま放置しておくのは

「モノの死骸」を家の中に放置しているのと

同じこと。

その状態が長く続けば続くほど

いわゆる格の高い神さまは寄りつけなくなり、

格の低いネガティブな神さまが居座ることになります。

そうなると

あなたを応援してくれる神さまとの繋がりが

薄くなってしまって

ドンドン運に見放されることになるので

注意が必要です。

良い「氣」が流れるように

部屋と心の掃除を常にしないといけません。

『衣』『食』『住』

人と関わる以上

死ぬまで考えさせられるテ一マです。

『人生は楽しくなければ意味がありません』

自分が楽しいか?楽しくないか?

選択して進みたい方へ迷わずに進めば良いのです。

違和感を感じるのであれば

無理して自分を合わせる必要はありません。

周りがどう感じるか?

そんなことを気にする必要はありません。

好きなように

生きたいように

人生を楽になるように心がけて

命に感謝して

人に感謝して

何事も無く過ぎてゆく時間に感謝して

『無』 無心になれる自分も

とても大切です。

人を恨んだり 妬んだり

自分の奥のほうに潜む鬼を追い出し

白から光りの魂に姿を変えた時に

素直な心で

光り輝く菩薩のような笑顔で

誰にでも接することができるように

なるでしょう。

でも人は簡単に鬼にも菩薩にもなれる生き物です。

分かりやすく言えば

天使にも悪魔にも成ろうと思えばなれます。

"自分は今どっちにいるのかな?"

悟られないように器用に生きている人の方が

実際は怖いかもしれない。笑

分かりやすい人の方が素直で可愛らしい気がします。

時は過ぎ

時はもとめない

"忘れることも ”

"忘れないことも"

コメント

次のタグを使うことができます:
<a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>